意外と知らない日本のロックフェスの歴史

意外と知らない日本のロックフェスの歴史

今や多くの人に愛される日本のロックフェス、音楽好きなら夏の4大フェスなどに行ったことがあると思います。

そんな身近なロックフェスですが日本におけるロックフェスの歴史をご存じでしょうか?今回は日本のロックフェスとその歴史についてのお話です。

日本のロックフェスの黎明期

ライブで熱狂するファンたち
ライブで熱狂するファンたち

私たちがロックフェスについてイメージするとき、大きな野外会場でキッチンカーやグッズなどの物販、休憩等のフリースペースが充実しているなどのイメージがあるのではないでしょうか。それらのイメージを確立させたのは97年のFUJI ROCK FESTIVAL以降のフェスのイメージであり、97年以前と以降で大きく違ってきています。まずはロックフェスの黎明期から97年までを見ていきましょう。

日本初の野外音楽フェス

世界的にもっとも有名な野外音楽フェスは1969年のアメリカで開催され40万人を動員したウッドストック・フェスティバルであるのは皆さん知るところでしょうが、実は日本初の野外音楽フェスは、ウッドストック・フェスティバルよりわずかながらも先に行われていました

そのイベントは全日本フォークジャンボリー(中津川で開催されたため中津川フォークジャンボリーとも)というイベントで、岐阜県にあるはなの湖で1969年の8月9日から10日と2日間開催されました。この頃の日本国内においてのロック、特に邦楽ロックにはそれほどの集客力はなく、3000人程度を動員するのみであったが、何もない野原に地元の青年たちが数か月にわたって手作りでステージを制作し、フェスを成功させたことは今までに例がありませんでした。加えて数日後アメリカで開催されたウッドストック・フェスティバルが大成功をおさめ日本国内でも報道されると、それに伴い全日本フォークジャンボリーも見直され大きなインパクトを方々に与えることになります。
その翌年に第2回、翌々年に第3回と開催するにつれ、動員数を8000人、2万5000人と増やしていくこととなります。

日本のロックイベントの起こりと70年代

日本初の野外音楽フェスはウッドストック・フェスティバルより先に開催されましたが、ウッドストック・フェスティバルが日本に多大なる影響を与えたのは間違いなく、ザ・フィンガーズというバンドの成毛滋は直接ウッドストック・フェスティバルを体験し、影響を受け日本に帰ったのち、同年1969年の9月22日に、日比谷野外音楽堂でニューロック・ジャム・コンサートを主宰することとなります。これは日本国内で初めての本格的なロックイベントで、料金が10円だったため10円コンサートとも呼ばれました

ニューロック・ジャム・コンサートのわずか6日後に、ニューミュージックマガジン誌という音楽雑誌が主催で日本ロック・フェスティバルを厚生年金会館で開催されました(野外ではありません)。

10円コンサートを皮切りに、1970年も多くのロックイベントが開催されますが、それらのイベントに共通しているのは、反商業主義であることや、日本に本当のロックを普及させようとする思いでした。というものの、1966年にザ・ビートルズが来日以降日本ではグループ・サウンズがブームとなりましたが、レコード会社や芸能プロダクションによる商業主義に取り込まれ衰退をたどっていました。ウッドスットック・フェスティバルにより影響を受けた人々は、商業主義に陥ったグループ・サウンズからの脱却、ロックの本質を日本に根付かせようと尽力しました

しかし残念なことに、これらのフェスは定着することなく消え行くこととなります。理由としては様々考えられますが、当時の日本においてはロックがポピュラーミュージックとなりえるような支持を得ることができなかったことや、カウンターカルチャーとしてのロックフェスの理念を体現できるような環境がなかったことなどが考えられます。

それでも10円コンサートがロックフェスの先駆者となったのは間違いなく、大きな影響を与えました。その後もたびたびロックフェスは開かれることになり、大きなものとして1974年のワンカップフェスティバル(沢田研二やキャロル、アメリカからはオノ・ヨーコなどが出演)、1979年と1980年に開催されたJapan Jam(HeartやBeach Boys、サザンオールスターズやRCサクセションなどが出演)などです。

80年代、90年代のロックフェス

1980年代も1981年から始まったロックンロールオリンピックや、1984年のSUPER ROCK ’84 IN JAPANなど様々ありますが、特筆すべきは80年代後半からの事情です。日本は1985年頃からバブル景気に入ったことにより、企業がスポンサーにつきやすくその資金力で海外の有名アーティストを集めた大規模コンサートが数多く行われていました。

バブル期の資金力に依存するということは、バブルが終わるとあっさりとフェスティバルが継続することができなくなることを意味していました。1991年にバブル経済が終焉を迎えると、企業はその資金をすぐさまロックフェスから引き揚げ、90年代のバンドブームの終焉も伴い、またしてもロックフェスは定着するものはないという結果になりました。

FUJI ROCK FESTIVALの出現

フジロックフェスティバル2019 入場口
フジロックフェスティバル2019 入場口

現在、日本のロックフェスの源流となっているのはFUJI ROCK FESTIVALといっても過言ではなく、その歴史を語ることは現在の日本におけるロックフェスの歴史を語るのに等しいです。

FUJI ROCK FESTIVALは1997年から2020年は新型コロナウイルスの影響で中止になったものの、2019年まで途切れず開催され2021年は開催されオンラインでも配信されました。今までのロックフェスと一線を画するのは明らかなのですが、FUJI ROCK FESTIVALはいかにしてロックフェスとして成熟し、定着していったのでしょうか。

FUJI ROCK FESTIVALって?

フジロックフェスティバル2019 ステージの風景
フジロックフェスティバル2019 ステージの風景

説明は不要かと思いますが、簡単にどんなフェスかについてご紹介します。

FUJI ROCK FESTIVALは1997年に始まったロック・フェスティバルで、新潟県苗場スキー場地区で毎年開催(1999年から)されています。「自然と音楽の共生」をテーマに掲げ、第1回は山梨県の富士天神山スキー場で開催されたため、「富士」ロックであるのとロゴに富士山が使われています。

例年7月末に3日間開催され、2019年は延べ動員数13万人以上と国内最大規模のロックフェスティバルです。(2021年は8月20日〜22日に開催)

決していいとは言えなかった第1回

「あのFUJI ROCK FESTIVALの第1回なら、さぞかし大成功なんだろうな」と思う人も多いかもしれません。

実はFUJI ROCK FESTIVALの1回目は、Red Hot Chili PeppersやGreen Day、THE YELLOW MONKEYやザ・ハイロウズなど豪華な出演者が揃っていたのですが、台風が直撃し暴風雨に見舞われ雨天の対策が不十分な上に、会場への交通アクセス整備が不十分で会場周辺に迷惑をかけるなどの問題がありました。

2日目は晴れたものの、会場の惨状など様々なことが原因で中止となり、Green Dayの出演は幻と消えることとなります。主催者への批判が殺到し、多くの課題を残すこととなりました。

それでも継続された理由とは?

第1回の惨状からすると、継続しなくとも不思議ではなかったのですがご存じの通りFUJI ROCK FESTIVALはその後も続くこととなります。強力な後ろ盾があったわけでもなく、ノウハウがあったわけでもないのになぜでしょうか。

私が思うに、要因は4つあったと思います。

1つ目は、継続を前提にしていたということです。これはのちの主催者でのインタビューでも語られており、第1回が成功にしろ失敗にしろ続ける予定だったようです。

2つ目は失敗からきちんと学び試行錯誤しているということです。第1回の惨状から、同一の会場は借りられなくなり、紆余曲折し新潟県の苗場スキー場地区で行われることになるのですが、天候に対する対策、アクセスや救護体制の向上、立地を考慮し近隣に住民がほとんどいない地区に選んだことや、参加者のマナー意識や雨風や寒さに対する意識などが向上したことも手伝い、悪夢のような第1回からわずか2年で課題をクリアし第3回フェスは大成功となります

3つ目はコンセプトをぶれずに求め続けたことだと思います。自然との共生というテーマを打ち出し、そのコンセプトに沿った世界観を作りことによって参加者にその場でのモラルをおのずと守らせることに成功していると思います。近年はマナーの低下が問題となっていますが、かつてはマナー意識が高く「世界一クリーンなロックフェス」と評されたほどです。

4つ目は、「フェスのファン」を獲得できたことだと思います。「フジロッカー」という言葉があるくらい、FUJI ROCK FESTIVALのファンは多く、彼らは出演者の内容にかかわらず、FUJI ROCK FESTIVALがFUJI ROCK FESTIVALであるから参加するのです。これほどまでのファンを獲得できた理由は、前述したコンセプトを守り世界観を作りこみ発展させていくことによって、ロックフェスという位置づけよりももはや夏の風物詩として認識させているからだと思います。

FUJI ROCK FESTIVALの出現はロックフェスの新たなスタンダードを示し、1999年にはRISING SUN ROCK FESTIVAL、2000年にはSUMMER SONICとROCK IN JAPAN FESTIVALが開催され今や夏の4大フェスと言われいずれも現在も人々に愛され続いています。

ロックは時代とともに

いかがでしたでしょうか。今回は日本のロックフェスとその歴史についてお話ししました。今日のロックフェスと、97年以前のものには断絶があり、意外と知らない部分が多かったのではないでしょうか。

FUJI ROCK FESTIVALが現在のロックフェスの源流になっているのは多くの人が納得することだと思いますが、ある意味ロックフェスというジャンルが成熟したというよりは「夏の風物詩」としてのロックフェスが人々に愛され今日まで続いているといえるかもしれません。

それはもうロックフェスなのか?という疑問もありますが、ともあれ時代が変わればロックの形も変わるのも事実で、カウンターカルチャーとしてのロックやロックフェスが今の時代に求められているかというとそれはNOです。各フェスの出演者も現代におけるロックミュージックでの第一線の人々であるのは間違いないのですから、今更ウッドストックや10円コンサートを引っ張ってきて、「現代のフェスはロックフェスではない!」というのも時代錯誤ですよね。

現在、未曽有の新型コロナによってロックフェスが従来通り行えないものも多いです。

このままロックフェスが時代に適応する形で変化を遂げるのか、それともコロナの収束に伴いもと通りのロックフェスが開催され人が集まるのか2022年のこれから開催されるフェスに注目です。

2022年開催予定のフェス

フェス名開催日開催場所WEBサイト
OTODAMA’22
〜音泉魂〜
“BACK To THE OFURO”
2022年5月5日(木・祝)大阪・泉大津フェニックスhttps://shimizuonsen.com/otodama/22/
FUJI ROCK FESTIVAL’222022年7月29日(金)
2022年7月30日(土)
2022年7月31日(日)
新潟県湯沢町苗場スキー場https://www.fujirockfestival.com/
ROCK IN JAPAN FES.20222022年8月6日(土)
2022年8月7日(日)
2022年8月11日(木・祝)
2022年8月12日(金)
2022年8月13日(土)
千葉市蘇我スポーツ公園(千葉市中央区)https://rijfes.jp/
RISING SUN ROCK FESTIVAL 20222022年8月12日(金)
2022年8月13日(土)
石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージhttps://rsr.wess.co.jp/2022/
SONIC MANIA 2022
“サマソニ前夜祭”
2022年8月19日(金)幕張メッセhttps://www.summersonic.com/sonicmania/
SUMMER SONIC 20222022年8月20日(土)
2022年8月21日(日)
【TOKYO】ZOZOマリンスタジアム&幕張メッセ
【OSAKA】舞洲SONIC PARK(舞洲スポーツアイランド)
https://www.summersonic.com/
SWEET LOVE SHOWER 20222022年8月26日(金)
2022年8月27日(土)
2022年8月28日(日)
山梨県 山中湖交流プラザ きららhttps://www.sweetloveshower.com/

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