西洋音楽の歴史を学ぼう!古代から近代へ流れ読み解く音楽史

西洋音楽の歴史を学ぼう!古代から近代へ流れ読み解く音楽史

今日も私たちの生活を豊かにしてくれる音楽はどこから来たのでしょうか。音楽の歴史を学ぶことによって、これからの音楽を考えていくうえで参考になるかもしれません。

今回は西洋音楽の歴史を時系列に沿ってお話ししましょう。

古代の音楽

古代文明のヨルダン ぺドラ遺跡
古代文明のヨルダン ぺドラ遺跡

音楽の起源としては記録が残っていないためはっきりしていることはわかりませんが、おそらく歌声が最初の音楽ではないかと言われています。抑揚をつけてしゃべってみたことが音楽の始まりだとか、鳥や動物の鳴き声をまねたのが音楽の始まりだとか言われています。

最古の楽器

現在、最初の楽器は打楽器だといわれています。体や両手を打ち付けたり、木の枝でものを叩いたりして音を出したのではないかとされていますが詳細は不明です。

史料として確認できる最古の楽器は現在のドイツのウルム近郊の洞窟から出土した骨の笛で、大体36,000年ほど前のもののようです。細長い動物の骨に穴が開いているもので、リコーダーのような形状をしています。

最古の歌

現在確認されている最古の歌は、1950年ごろにシリアの古代都市ウガリットで発掘された粘土板に記されたものです。粘土板は紀元前14世紀ごろのもの、つまり3,400年前ごろに作られたもので、シュメール人が儀式用に書いた讃美歌のようです。

不完全な粘土板であり、どういったリズムであったのかはわかりませんが、粘土板から読み取るとすでにこのころから和音だけでなく全階音が用いられているのがわかりました。

古代文明の音楽

メソポタミア文明や古代エジプト文明などの古代文明では楽器を演奏していたり音楽を楽しんでいたという史料が数多く出土されています。

ハープやリラ(管弦楽器)などの楽器が発掘されたり、粘土板や壁画などからその様子がうかがえます。

そこからかなり進んだ音楽の文化があり、儀式などの行事に用いられたり民間で楽しんだりと音楽が重要な役割を果たしていたようです。

古代ギリシャの音楽

ギリシャ文明
ギリシャ文明

音楽は主に西洋で発展をしていくことになるわけですが、紀元前1000年ごろ、古代ギリシャでも盛んに音楽が行われていました。

古代ギリシャの音楽には、セイキロスの墓碑銘という完全な形で残っている世界最古の楽曲があります。これは古代ギリシャの詩人であるセイキロスがその妻にささげた楽曲とみられていて、歌詞の上部に旋律の音符が振られており、現在でもほとんど完全に再現できる最古の音楽となります。

一般的にも古代ギリシャでは哲学や文学や体育と並び音楽が教養として重んじられており、様々な研究や発展を遂げ独自の理論体系が成立していくことになります。

中世の音楽

中世とは主に467年の西ローマ帝国の滅亡から1453年の東ローマ帝国の滅亡までの時代のことです。

中世の音楽の歴史と切っても切れない関係にあるのがキリスト教との関係です。4世紀ごろにキリスト教の普及が進み、西欧諸国で聖歌が盛んに歌われるようになるからです。この時代では音楽はキリスト教の下で発展を遂げていくこととなるわけです。

キリスト教教会と聖歌

神に祈るための音楽として生まれた聖歌は、広範囲に広まった初期のキリスト教教会の各地でそれぞれ独自の典礼のもとに独自の聖歌が出来上がっていきました。

やがてヨーロッパではローマ教会がキリスト教の中心となっていき、7世紀から8世紀にかけてローマ典礼聖歌が大きな発展を遂げました。

9世紀ごろにグレゴリオ聖歌が成立し、どの地域もこの成果を歌うように定められることとなります。

グレゴリオ聖歌

グレゴリオ聖歌は教会旋法による単旋律で書かれています。歌詞は主にラテン語で、旋律は8種類の音階で、無伴奏のユニゾンでの歌唱が特徴的です。このような音楽をモノフォニーといいます。

グレゴリオ聖歌の記譜はネウマと呼ばれる記号を使って記されたものでしたが、初期のネウマは音節のピッチの変化や長さは書かれていても、各音の絶対的なピッチや相対的なピッチはわからないものでした。のちに12世紀中ごろに4本線の記譜が登場し13世紀ごろに定着していきました。これによりかなり正確に各音のピッチを表せるようになりました。

単旋律から複旋律へ

中世のキリスト教圏内で歌われた単旋律のグレゴリオ聖歌に対して、別のパートを追加するという試みが起こりました。

その中でオルガヌムと呼ばれる単旋律をもとに対旋律を作る技法が考案され、多声音楽が発展していきました。この多声音楽をポリフォニーといい、主旋律がなくそれぞれの旋律が均等なバランスで構成されているのが特徴です。

近世の音楽

15世紀ごろ16世紀にかけてのヨーロッパは東ローマ帝国の崩壊から中世的な封建社会が崩壊し、絶対王政などによる近代的な国家形態が成立していった時代です。また宗教改革が起こった激動の時代でもあります。

音楽を含む多くの文化もその影響を受け、変化していくことになります。

ルネサンス音楽

ルネサンスは14世紀から16世紀ごろにかけての文化運動で、古代ギリシャやローマの復興を目指したものです。

15世紀前半ごろの西洋音楽はブルゴーニュ学派のデュファイによって、西洋各地の音楽の技術が融合され大きく発展していました。初期のルネサンス音楽は中世音楽を引き継ぎながらも、おおらかで温かみのあるメロディが特徴で、多声音楽が盛んに作られ、ミサ曲やモテートやシャンソンなどが多く作られました。

15世紀後半から16世紀前半にかけてブルゴーニュ学派の後継として音楽を発展させたのがフランドル学派です。フランドル学派の音楽技法は通模倣様式と呼ばれる技法で、各パートが均等な関係で模倣を行って歌う、一種の輪唱のようなものです。

16世紀後半になると声部が複雑化したモノフォニーでは各パートによる歌詞での音楽的世界観の表現が難しく、そんなポリフォニーへの反発からモノフォニーが見直されることになります。

ここから単独の主旋律にそって複数パートが歌うホモフォニーという音楽が考案されました。複数の旋律が均等なポリフォニーと違い、主旋律と伴奏という概念が生まれ聞きやすい音楽となりました。

バロック音楽

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの銅像
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの銅像

ルネサンス音楽時代の終わりから1750年のバッハの死までがバロック音楽時代と呼ばれていて、この時代の音楽をバロック音楽といいます。バロックというのはポルトガル語でいびつな真珠という意味で、のちの時代の人がこの時代を評価したときに使われた言葉です。

バロック音楽はホモフォニー音楽で、オペラや協奏曲などのドラマチックな音楽です。また絶対王政の世の中だったため、王や貴族などの富裕層を飾り立てる王侯貴族の音楽文化であり、きらびやかで華やかな室内楽が多数作られました。

このことから前時代の調和のとれたルネサンス音楽と比較しバロック呼ばわりされるわけですが、キリスト教が国境の国でも権力を誇示するカトリックと控えめで戒律が厳しいプロテスタントの2つの流派があり、バロック音楽を代表とするバッハはプロテスタント国家であるドイツで、バッハ自身も啓蒙なプロテスタント信者であったためはで宮廷音楽というわけではありません。つまりバロック音楽はきらびやかな宮廷音楽と、バッハの音楽の2つがあるということです。

またこの時代に楽器の性能が上がり、バロック後期になると楽器を中心にした楽曲がふえることになります。

ヴァイオリンやチェロやコントラバスなどの弦楽器や、フルートなどの木管楽器、フォルテピアノなど現在でもつかわれている楽器の原型が多く登場します。それに伴い様々な演奏技法が編み出され、のちの時代に大きな影響を与えることになります。

古典派音楽

古典派音楽は18世紀中ごろから19世紀前半にかけて音楽の都オーストリアのウィーンで発展した音楽です。バロック音楽時代の終わりから始まった新しい様式ですが、この時代にも歴史的な背景が重要になってきます。イギリスでは産業革命が、フランスではフランス革命がおこり、資本主義の台頭、王政の打倒で市政の成立という時代の流れがあり、これが音楽などの文化にも大きな影響を与えます。

音楽は長い間キリスト教会や王侯貴族などの権力者のものでしたが、王政の打倒や資本主義の台頭で一般市民もお金を出せばコンサートに行ったり音楽を楽しむことができるようになりました。ここから音楽は神への捧げものや王や貴族を飾り立てるものという特色が薄れていき、市民のための音楽が発展していくことになります。

古典派音楽はバロック音楽への反発、否定という形で発展することとなります。荘厳なバロック音楽を否定し、簡素で素朴で、明快なホモフォニーがギャラント様式です。この様式をもとに、交響曲が完成し、ソナタなど新しい形式の音楽が登場します。

楽器の発達が進み、制楽曲から器楽曲中心の時代となりました。交響曲や協奏曲、四重奏やピアノのための楽曲が数多く作曲されることとなります。ハイドンやモーツァツトやベートーベンなどの多くの音楽家を輩出しました。

ロマン派音楽

ロマン派音楽は19世紀初頭から20世紀初頭にかけて発展した音楽です。古典派音楽も後半になるとソナタや交響曲などの調和のとれた、いうなれば理性的な音楽でした。ロマン派音楽はそんな古典派音楽の合理的かつ理性的な側面に反発して作られたもので、喜怒哀楽などの感情、恋愛や情緒、人間の苦悩や葛藤や憂鬱などをテーマにした曲が多く作られました。

人間の感情や非日常を表現するロマン派音楽ですが、その音楽技法は古典派音楽時代に完成した機能和声やオーケストラなどを受けついでいます。そのうえで特徴的なのは、多彩な転調の音楽や、自国の民謡や民族音楽の様式を重視した国民楽派の音楽などです。

ロマン派で有名な音楽家はシューベルトやショパンやリストやワーグナーなどです、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

印象主義音楽

モネやマネなどの絵画の印象派は有名だと思いますが、音楽でも20世紀初頭に印象主義の音楽が起こりました。ロマン派のような人間の感情を描いたもの違い、気分や雰囲気の表現にポイントを当てた音楽です。

このころになると西洋音楽も行き詰まり、今までの音楽史のようにより新しい表現技法は生まれなくなってきます。西洋音楽の限界です。

印象主義音楽はこれまでの流れをくむ否定からの創造ではなく、西洋音楽を根本から崩したものでした。

その音楽性はバロック時代以前の音楽様式をもとに、長調や短調をぼかしたり、不協和音を積極的に使ったりと調整やリズムを崩すといったものです。また西洋音楽以外の世界各国の民族音楽の要素を取り入れたのも特徴的です。

ドビッシューやラヴェルなどの印象主義音楽を最後に、西洋音楽はいったんの終わりを見せることになります。

近現代の音楽

ニューオリンズの街
ニューオリンズの街

20世紀の音楽はそれまで音楽の中心であったドイツから離れ、フランスやロシアの音楽家が台頭してくることになります。多くの音楽家が西洋音楽に限界を感じ、ある音楽家はそれを受け入れ、ある音楽家はそれから何とか脱却しようとする時代が来ます。

やがてアメリカが世界の中心となるとアメリカでジャズが誕生し、西洋ポピュラーミュージックの中心となっていきます。ここからは現代にある通り、ポピュラーミュージックが人々の音楽の中心を占めるという時代になっていきました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は西洋の音楽史をお話ししました。

クラシックなどの楽曲で聞かれたり演奏されたりするのは1950年以前のものがほとんどで、古来から脈々と続いた西洋音楽の流れをくむ音楽は現代にはほとんど残っていません。

それでもいろいろな音楽のジャンルがクラシックの影響を受けていたり、クラシックの楽曲などは今でも多くの人に好まれているのは紛れもない事実です。ぜひこの機会に気になる時代の音楽を聴いてみるのはいかがでしょうか。

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