意外と知らない日本の音楽史

日本の音楽の変遷~意外と知らない日本の音楽史~

皆さんは日本の音楽の歴史をご存じでしょうか。日常的に触れる音楽は西洋の音楽をベースにしたものが多く、意外と日本の音楽がどういう歴史をたどっているか知らない人は多いと思います。

今回は日本の音楽の歴史を時系列に沿って簡単にお話しします。

古代の日本音楽

古代の日本音楽
古代の日本音楽
【古代の日本音楽のポイント】
  • 古代前期の音楽は民謡から発達したものであり、歌詞はある程度分かっているがどんな曲調やメロディーだったのかは伝わっていない
  • 奈良時代から平安時代にかけて日本古来の音楽と外来音楽が融合し雅楽が出来上がる。平安末期には今様というジャンルが流行する
  • 仏教音楽である声明は雅楽とは交わらず独自の変化をたどり、のちの邦楽に影響を及ぼす

古代前期

恐らく一番初めに発祥した音楽は民謡から発達したものと言われており、遺跡などの発掘物から何らかの楽器や音楽があったことはわかっています。

記録に残っているものとしては記紀歌謡といわれる古事記・日本書紀に記されている歌謡です。記紀歌謡はほとんどが宮廷に伝承されたもので、歌曲名を伴っているものは大歌と呼ばれています。しかしこの記紀歌謡にある大歌が本来歌われていた歌詞をそのまま書いたものではなく、五七音の定型に落とし込んだものとする見方もあり、またその旋律などどんな音で歌われていたのかなどは一切わかっていません。つまり、歌詞はある程度分かっているけどメロディーは全然わかっていないということですね。

大陸文化の伝来

6世紀以降大和朝廷から国内がまとまりつつあり、そのころから中国とのやり取りや朝鮮半島との親交が行われるようになってきます。様々な大陸文化や技術が伝来し、外来音楽もまた伝来しました。

とくに有名なのは7世紀の推古天皇の時代に百済(くだら)から伝来した伎楽(ぎがく)や、8世紀の半ばにはインドのバラモン(僧侶)によって伝えられ、林邑楽(りんゆうがく)、平安初期には中国の渤海国から渤海楽(ぼっかいがく)が日本に入ってきました。

また奈良時代から平安初期にかけて中国から声明(しょうみょう)という仏教音楽が伝来します。声明はその性質上口伝によって伝えられるのですが、のちに講式という形式の声明が生まれ、平曲や歌謡などの邦楽の発展に大きな影響を与えました

雅楽の誕生

雅楽の誕生 楽譜と楽器の笙(しょう)
雅楽の誕生 楽譜と楽器の笙(しょう)

こうして伝来した外来音楽は伎楽や声明を除いて宮廷音楽として日本の音楽と融合し、雅楽として10世紀ごろに完成しました。雅楽は宮廷音楽として皇室の保護のもとに行事などで演奏され今日まで残っています

雅楽の構成は器楽を演奏する管絃、舞を中心とする舞楽、声楽の歌謡と3つのカタチに分かれています。

平安時代になると管絃合奏の規模を縮小し、外来の音楽により近い平安朝の新作の歌曲が作られるようになり、平安中期になると雅楽の流行ジャンルの一つであった催馬楽や朗詠がすたれ今様(いまよう)という歌曲がおこり、平安時代末期に大流行しました。

中世の日本音楽

平安時代の女性イメージ
平安時代の女性

【中世の日本音楽のポイント】

  • 武家社会の台頭により貴族社会とその文化が衰退し、民衆芸能が発達する
  • 平家物語を弾き語る平曲が流行し、音楽で収入を得る人が増える
  • 能楽が為政者によって好まれ、世阿弥によって大成される
  • 江戸時代になると鎖国の影響で日本の国民性が大きく表れる変化を遂げる

武家社会の到来

平安時代後期から鎌倉時代にかけて武家が頭角を現し貴族社会が衰退しました。武士中心の社会になるにつれて民衆芸能が発達し、雅楽などの宮廷音楽はピークが過ぎ伝承の段階に入りました。

平曲の登場

琵琶という楽器は雅楽で使われていた楽器ですが、平家物語が流行し琵琶の伴奏とともに弾き語りをするというのが流行しました。この伴奏を平曲(へいきょく)といい、主に諸国を旅する琵琶法師と呼ばれる目が見えない盲僧によって広められました。

平曲は発展をしていき多くの平曲家が生まれ、平曲によって収入を得る人が増えていきました。

能楽の大成

伝統芸能 能
能は日本の伝統芸能の一つ

中世に入ると田植の行事である田舞に中国から伝来した散楽が融合して出来上がった田楽や、伎楽や散楽が起源ではないかと言われている猿楽が次第に成長しました。

中でも猿楽は発展を続け、白拍子の舞や曲舞、今様などが取り入れられ猿楽能に発展しました。

そして観阿弥と世阿弥によって猿楽を母体として能楽が大成されました

中世末期の日本音楽

戦国時代に入ると戦乱の世の中になり一旦日本の音楽は停滞します。江戸時代になり世の中が落ち着いたころ浮世草子や歌舞伎などの民衆芸能が発展します。

この頃は鎖国の影響もあり日本独自の国民性が大きく表れたものになっています。また士農工商と階級制度が明確になったこともあり、音楽の身分的な住み分けも見られます。

琴や三味線が庶民に普及されていき、民衆の定番楽器となっていきました。しかし江戸時代になると家元制度が強くなっていき、音楽を学ぶには流派の家元に通うしかなく、民衆に十分な音楽を学ぶ機会はありませんでした

近現代の日本音楽

皇居外苑
皇居外苑

【近現代の日本音楽のポイント】

  • 明治維新によって西洋音楽が流入し、日本の伝統音楽は衰退した
  • 西洋の作曲技法などによって新たな日本の音楽が生まれた
  • 第二次世界大戦以降まで日本の伝統音楽は省みられることがなかったが、近年徐々に見直されている

西洋音楽の流入

江戸時代が終わり明治時代に入ると時代はまさに文明開化、西洋の技術や文化が大量に入ってきます。さらに明治政府の意向によって、古き日本の文化は悪しとされ、日本の伝統音楽は軽視され西洋音楽が日本の音楽のベースになっていきました

この影響から音楽教育も一般に開放されることになり、多くの人が体系的に音楽を学んでいくことになります。

日本独自の音楽を目指して

1879年に文部省に音楽取調掛という機関ができ、東洋西洋音楽の折衷を目指すというのが日本の音楽の目標に設定されました。

このころドイツに音楽留学で作曲技法を学んだ者たちによって新たな日本の音楽が生まれます。代表的なのは滝廉太郎や山田幸作などの音楽家です。

軍国化による停滞

第一次世界大戦以降日本の軍国化が進み、趣味趣向とみなされた音楽は学ぶことが贅沢とされていき音楽文化は停滞しました。

不思議なことに、自国文化至上主義のこの時代においてさえ、音楽は洋楽ベースのものがほとんどであり、日本の伝統音楽が見直されることはありませんでした。

戦後の日本の音楽

古いラジオから流れる音楽
古いラジオから流れる音楽

第二次世界大戦直後は自国至上主義の反省から日本固有の文化への軽視は続き、日本の伝統音楽も相変わらず見直されることがありませんでした。1950年に文化財保護法が制定されるとようやく日本固有の伝統を大切にしようという動きが出てくることになります。

60年代半ばに演歌が生まれ、それ以降はロックやジャズなどの音楽が入ってくることによって多様なものになり現在に至ります。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は日本の音楽の歴史についてお話ししました。今回は簡単にお話ししたので、一部省略されていたりする部分もありますがお許しください。

現在の邦楽のベースになっているのは西洋音楽の理論であり、日本固有の伝統的音楽はあまり日常的に聞くことはないと思います。

それでも失われることなく日本の伝統芸能として受け継がれているのも確かな事実で、昨今では和楽器が多くのジャンルで注目を浴びることが見られます

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